翔子は目覚まし代わりのコンポに電源が入る音で目がさめた。
どうしても曲が鳴る前の、その音で目がさめてしまう。
翔子はいつもそれが少し不満だった。
流れるメロディは女性ボーカル。
翔子が普段聞いている曲よりもアップテンポで音量は少し大きめ。
もう少し微睡んでいたくて、演奏を止めようと手を伸ばす。
しかし、枕元においてあるはずのリモコンが見つからなくて、結局翔子は身を起こして辺りを見回す。
リモコンを手にとったとき、その横にあった写真立てに目が止まる。
以前にシャオ達と旅行に行ったときに撮った写真だ。
真ん中に太助、その横で腕を組もうとしているルーアン、反対側にシャオがいる。
シャオは少し悲しげというか寂しげで、翔子は3人の後ろでやきもきしながら見ていたのを憶えている。
今日は休日、翔子が休日にすることは決まっている。
「何はともあれ、まずは腹ごしらえだよなっ」
翔子は勢い良くベッドから飛び出すと、身支度を始めるのだった。
階段を下りながら、玄関に眼をやるとすでに両親の履き物はない。
いつもの事とは言え、休日も一人きりな事が翔子は寂しかった。
しかし、今はシャオ達がいるから休日もさびしくなんかない。
さして楽しいわけでもないのにサボっていた学校もそれなりに行くようになった。
時々はサボったりする辺りが彼女らしい所ではあるが。
食卓の上にはラップのかけられたサラダと目玉焼き、そしてメモ書きが添えられている。
翔子はメモを見ることもせず、クシャクシャに丸めてゴミ箱に放り投げた。
メモ紙は当たり前のようにゴミ箱に吸い込まれる。
トースターにイギリスパンを2枚セットしてから、冷蔵庫から牛乳を出しマグに注ぐ。
別に見たいわけでもないテレビをつけてはみるが、政治討論なんかをやっていて全く翔子の気を引くような内容の番組はやっていない。トースターからパンを一枚取り出してバターを塗りつけて、かぶりつく。
サラダを適度にこなしながら、一枚目を食べ終えると二枚目のパンには目玉焼きを乗せて、一緒にかぶりつく。
翔子の昔からの習慣で、以前は良く両親に行儀が悪いとしかられたものだが、最近はそういうことはない。
朝食時はいつも翔子一人だからである。
自宅での朝食を食事として楽しんだ記憶が翔子には久しくなかった。
それは毎日の習慣にすぎず、単なる栄養補給みたいなものだった。
程なく全て食べ終えた翔子は、食器をシンクに放り込むとチャッチャと洗って棚にしまい、早速出かける事にした。
外はとても良い天気で、翔子の足取りも自然と軽くなってくるような陽気だった。
こんないい天気なら、七梨家でもきっと何か面白いことが起きるに違いないのだ。
もっとも年中騒動を起こしているような、面白い連中ばかり住んでいるのだから、陽気などは関係ないとも言える。
ふと翔子は、手ぶらで行くのもなんだよな〜とか思ったので、手みやげを仕入れに後藤菓子屋へと足を向ける。
後藤菓子屋は近所の子供たちが集まる店で、普段から客は意外に多い。
しかし、翔子が店に入ったときはまだ時間も早かった事もあって、誰もいなかった。
もう少しすれば、子供たちがたくさん訪れるのであろう、店主のおばあちゃんは外で開店の準備をしている所だった。
「あ、まだ開いてなかったかな? ばあちゃん」
翔子は頭を掻きながらおばあちゃんに声をかける。
「おや、翔子ちゃんかい。もうちょっと待っておくれ、今これを出し終えたら開けるからね」
おばあちゃんは子供用のベンチを店から出そうとしている所だった。
「ああ、そんなのあたしがやってやるってば」
翔子は駆け足でおばあちゃんに近寄ると、ベンチをひょいと持ち上げていつも置いてある所に設置すると、店の中に入っていったおばあちゃんに声をかける。
「この辺でいいのかい? ばあちゃん」
「ありがとうよ、翔子ちゃん。準備も出来たから中に入っておくれ」
翔子が中に入ると、おばあちゃんはお茶を入れてくれていた。
「さぁさ、飲んどくれ。手伝ってくれたお礼だよ」
お茶を差し出すとおばあちゃんは、保存ビンから駄菓子をいくつか取り出して皿に盛ってくれた。
「ちょっと手伝っただけなのに、なんか悪いな。ばあちゃん」
「この年になると力仕事がちょっとつらいからねぇ。大助かりだったよ」
「そっか。じゃあ、ありがたく…いっただきます♪」
煎餅を手に取ると、翔子は勢い良くかじった。
煎餅にはきれいな歯形がくっきり、そんな翔子を暖かい眼差しでおばあちゃんは見ている。
「ところで、こんな朝早くからどうしたんだい?」
「ん? ああ、シャオん家に遊びに行くからその手みやげでもって思ってさ」
「そうかい、シャオちゃんの所に行くのかい」
「何かみんなで食べられるようなのを適当に包んでくれよ」
「ちょいとお待ちよ」
おばあちゃんはニコニコしながら立ち上がると、店の棚からいくつかお菓子を取り出して袋に詰め始める。
「全部でいくら?」
「手伝ってくれたから別にお金はいいのよ」
パタパタと手を振りながらおばあちゃんが言うと、翔子は指をチッチッチと揺らしながら言い返した。
「ばあちゃん、慈善事業じゃないんだから客からはちゃんと金取らないとダメだぜ」
翔子はポケットから財布を出して代金を支払う。
その財布は意外に少女チックで、「おサイフ」って感じであった。
仕方なさそうに代金を受け取ったおばあちゃんは、商品を紙袋に詰めると翔子に手渡した。
「んじゃな、ばあちゃん。また来るよ」
手を振りながら店を出ると、翔子は紙袋をのぞき見る。
「なんだかんだ言って、おまけしてくれるんだからあのばあちゃんも気が利きすぎってもんだよなぁ」
と、のぞき見ていた視線を戻した彼女の視線に只ならぬものが飛び込んできた。
これから向かう七梨家の現在の主人である太助が、一年後輩の愛原花織と一緒に歩いていたのだ。
しかも、花織は太助の腕に自分の腕を絡ませようと機会をうかがっているようだ。
見るが早いか、翔子は二人の方に文字通り吹っ飛んで行った。
ムギュ!
「痛ってぇえぇぇぇ!!」
「七梨、ちょぉ〜おっとこっち来い!」
「山野辺先輩、何ですかいきなりっ!」
「愛原、ちょっと七梨借りるぞ」
「痛いって! 山野辺ぇ」
「いいから来い!」
「ちょっと山野辺先輩! 七梨先輩の耳を離してくださいっ。痛がっているじゃないですかぁ!」
花織が止めるのを振り切るように、太助の耳を引っつかんだまま強引に花織から見えないところまで彼を引きずっていく。
それからようやく太助の耳を解放してやる。
「……何だよ、一体」
ようやっと翔子の耳たぶ攻撃から開放された太助は、耳をさすりつつブツブツと呟くように愚痴る。
「何だよじゃねーよ、七梨。お前何考えてんだ?」
「何って?」
「お前なぁ、シャオが大事じゃないのか?」
「シャオが見たらどんだけ悲しむと思ってんだよ」
「今日はシャオは支天輪に帰ってていないから……」
翔子は自分のこめかみに青筋が浮かぶイメージを抱いた。
それでも翔子はそれを抑えて、額に手をあて頭をふる
「そういう問題じゃねーだろ」
「……まぁ、そうなんだけど……成り行きでな」
太助は屁理屈にもならないような事を言う。
怒りながら、翔子は策を思いついた。
少し二人を泳がして、太助が愛原花織の事をどう思っているのか見届ける事にしたのだ。
もし彼が行き過ぎるような事があれば瞬時にそれを制する準備だけはしておけばいいのだ。
そこでここは一つ見逃してやることにした。
「とにかく、シャオを泣かすような真似だけはするなよっ! そんな事したらあたしは絶対にお前を許さないからな!」
そう言い放って、太助に背を向けて走り去る……真似をすると手近な物陰に隠れる
そして、二人と一定の距離を保ったまま彼らの後を尾けてみることにしたのだ。
それでも、花織が太助に腕を絡ませたときにはさすがに飛び出しそうになった翔子であったが、何とかこらえて見つからないように後を尾ける。
しばらく追跡を続けた時、翔子はまた別の知り合いの姿を見る事になった。
宮内出雲である。
彼はシャオの事が好きらしく、何かある度に太助とシャオの邪魔をするので翔子にとってはあまり面白くない知り合いではあったが、取り立ててどうすると言うものでもない。
そして、一応最年長らしく普段は一番まともな意見を提出してみんなをまとめてくれているのも事実である。
なぜか出雲は何かにおびえるように歩いている。
よく見るとどうも普段と違う…更によく見ると普段と髪型が違う。
しかも、何故か目深に野球帽までかぶっている。
何から何まで「変」と言った感じだ。
(なるほどね…それで知り合いにでも見られたら大変だと思っているわけか。あのお兄さんらしいや)
滅多にないチャンスだし、翔子は太助と花織を見失わない程度に、出雲をからかってやることにした。
彼に気づかれない様に背後に忍び寄ると、わざと大きめの声で話しかけた。
「あれ? お兄さんじゃないの」
それを聞いた出雲は軽く7〜80センチは飛び上がった。
そして、恐るおそる振り返って、翔子を確認すると裏返った声でようやく言った。
「し、しょ、翔子さん!?」
妙に焦る出雲が妙におかしくて、思わず翔子はおなかに手を当てて笑ってしまった。
「あはは、珍しいね。お兄さんがそんなに取り乱すなんて」
「そ、そうですか? 別に取り乱してなんか……あははは」
出雲の返した笑いはひどく乾いていた。
だが、何とか平静を取り戻そうと努力しているらしい。
「今日は……」
「ところでさー」
出雲が軽く深呼吸してからようやく口を開いた所で、翔子は言葉をかぶせてやった。
おそらく「今日はどこかにお出かけですか?」とでも出雲は問いかけたかったのだろう。
出雲は機先を制しようとしたのに見事に翔子に阻止されてしまって弱っているようだ。
翔子は畳みかけるように彼に爆弾を叩きつけてやる。
「なんでそんな変な髪型してんの? お兄さん」
「はうっ」
出雲は髪型のことに触れられたのがあまりにもショックだったらしく、頭を振りながらヨロヨロと崩れ落ちそうになった。
そのまま倒れる所を見るのも楽しそうだったが、反射的に翔子は出雲を支えてやる。
いくら出雲がスリムな体型だとは言っても、中学2年生の翔子にとって、彼の体重を支えるのは結構つらいものがあった。
「っとと、大丈夫か? お兄さん」
「……だ、大丈夫ですよ。し、翔子さん」
必死に笑顔で取り繕おうとする出雲だが、無理に笑おうとしているので、その頬の筋肉はいかにもひきつり、色男が台無しといった所であった。
それでも一所懸命に出雲は考えを巡らせた後、絞り出すように言った。
「翔子さん、このことはシャオさんには……」
もう少しイジメておいてもいいかな?とか思い、いたずらっぽく笑いながら言う。
「このことシャオが知ったらどう思うかな? ね、お兄さん」
口元が猫の口になっているのを翔子は自覚していた。
「記念に写真でも撮っておこうか?」
「ち、ちょっとやめて下さいよ、翔子さん!」
出雲は真面目にうろたえている。
額には脂汗が浮かんでおり、こんな出雲を見るのは翔子は初めてだった。
同時に少しイジメすぎたかな?とも思った。
「お願いしますよ翔子さん。私にできることなら何でもしますから……」
ついに泣き言を言い始める出雲。
「簡単に『何でもする』なんて言うもんじゃないぜ。お兄さん」
「…………」
「ま、冗談だよ冗〜談♪」
「……年上をからかわないで下さいよ、まったく」
話しながらさすがに翔子は太助と花織を見失うかもしれない事を思い出した。
ここらで切り上げるのが潮時と言うものだ。
「おっと、あたし急いでたんだ。お兄さんと遊んでる場合じゃないや。んじゃなっ!」
翔子はそう言うと踵を返して、小走りに出雲の元を去る。
『次は○○駅〜、降り口は左側に変わります』
車内アナウンスが聞こえて間もなく、電車はホームに到着する。
耳障りなブレーキ音が響く。
プシュ〜
翔子はまだ二人が座っているのを確認すると、二人よりも早く電車から降りて物陰に隠れる。
降りてきた二人はさも当然のように腕を組みながら駅から出ていく。
危うく飛び出しそうになるのをようやくこらえると、翔子は尾行を続行する事にした。
二人の目的地である遊園地は駅から降りてすぐの所にあり、規模は大した事はないのだが何故か世界最大の木製コースターがあるので、休日となると家族連れやカップルで大変にぎわっている。
どうやら花織と太助はまず食事を取るらしく、軽食スタンドで何やら買っているようだ。
翔子も軽く食べることにして、二人とかち合わないように別の軽食スタンドでチリドッグを買う。
二人はベンチに腰掛けて食べ始めた。
遊園地内は遮蔽物が少ないので見つかるかもしれない、そう思った翔子は胸ポケットから取り出したサングラスを掛ける
まずはチリドッグを頬張りながら二人の様子を窺う。
「……でぇ、あたし……んです……」
「……へぇ……だったのか」
家族連れの笑い声がうるさくて、あまり良く聞き取る事が出来なかったが、どうやら一方的に花織が話し、太助が聞き役に回っているらしかった。
少しくっつき過ぎているのが気にはなるが、取り立てて花織が大胆な行動に出ることはしていない。
「……今ン所は大丈夫なようだな……」
面白くない…と言えばシャオには悪いが、これでは二人を尾けてきた意味がない。
(結局、あたしの気の回しすぎって事か…)
少し馬鹿馬鹿しさを覚えながら、チリドックのかけらを口に放り込むと、包み紙をゴミ箱に放り投げる。
入ったかどうかの確認など彼女には必要なかった。
「もうちょっと何か食べるか」
翔子は軽食スタンドで再びチリドッグをいくつか買い求める。
代金を払って、チリドッグを頬張りながらスタンドに背を向けた時、上空から聞き覚えのある声が翔子を呼んだ。
「翔子殿。こんなところで何をしておられる?」
七梨家第3の居候、紀柳だった。
翔子にしてみれば、紀柳こそこんなところで何をしているのか不明だった。
短天扇に乗った紀柳は翔子の側に降りてくる。
途端に周りの人たちがざわつくが、紀柳は別に人目を気にした様子もないようだった。
しかし、翔子は太助達に見つかるのではないかと気が気ではなく、二人の方をあわてて見た。
「ああっ!!」
翔子は思わず大声を出してしまった。
何しろすでに太助達はどこかに行ってしまって、ベンチには見たこともない親子連れが座っていたのだ。
「どうした? 翔子殿。大声をあげるとはらしくもない」
「いや、何でもないさ……」
翔子は太助達の尾行を諦めて、頭をふりながらため息をもらす。
紀柳は「?」を頭上に出しながら小首を傾げる。
「まっ、いいか。そうだ紀柳、これ食うか?」
言いながら翔子は紀柳に買ったばかりのチリドッグを差し出す。
「い、いや、私は辛いものはちょっと……」
赤々と自己主張するチリソースを前にして紀柳は明らかにうろたえる。
「ふ〜ん、勿体ないなぁ。こんなにうまいのに」
無理にすすめはせずに、翔子は食べかけのチリドッグにかぶりつく。
いかにもホットドッグの醍醐味を知っているような見事な食べ方だった。
「んで、紀柳こそこんなところで何してるんだ?遊びに来たわけでもなさそうだし」
「んっ、私か? 私はホラ、これだ」
紀柳は手のひらを開いて見せる。 すると小さな風船がいくつかふわふわと浮いて飛んで行きそうになる。
紀柳はあわてるそぶりもなく、再び手のひらを軽く閉じる。
「何だってまた風船なんか持ってるんだ?」
「……で、……が………から…………だけだ」
うつむきながらポソポソと言った紀柳の言葉を翔子は聞き取ることが出来なかった。
「紀柳、それはあたしに対する試練か?」
苦笑しながら翔子は言った。
紀柳は赤面しながら首をフルフルと振って、今度は聞こえるくらいの声で恥ずかしそうに言う。
「その…なんだ、近所で…子供が泣いていたから…どうしたのか聞いたら…、その…風船を無くしたとかで…全然泣きやまなかったからだな…私が代わりを……何とかしようと思っただけだ」
「へぇ〜、いいとこあるなぁ、紀柳。別に恥ずかしがらなくてもいいじゃん」
そうは言ったものの翔子には紀柳の気持ちが少し理解できた。
きっと「柄でもない」とか思っているに違いないのだ。
「……で、翔子殿はここで何をしているのだ?」
「ん、ちょっとな。でももう用は済んだっていうか見失ったからもうここにも用はないんだ」
「…そうか」
「紀柳ももういいのか?」
「後はこれをあの子に渡すだけだ」
紀柳は風船を閉じこめた方の手を軽く挙げてみせる。
「そっか、そんじゃ帰るんだな?あたしも一緒に乗っけてってくれないか?」
「ああ、別にそれはかまわないが」
「さ〜んきゅ♪ あたし一回それに乗ってみたかったんだ」
紀柳の持つ短天扇をあごで指し示しながら言う。
「万象大乱」と紀柳が唱えると短天扇は人が乗れるくらいの大きさになり、宙に浮いた状態で止まった。
先に紀柳が腰掛ける。
続けて翔子が腰掛けると、短天扇は沈み込むような感触だった。
「やっぱ、紀柳っていいヤツだよな♪」
紀柳は赤面して何も言わなかった。
きゅうぅ〜〜
代わりに紀柳のお腹が鳴ったらしく彼女はますます赤面してうつむいてしまった。
「……なぁ、もう一回聞くけど、これ食うか?」
紀柳は無言で首をフルフルと振るだけであった。
翔子の休日はまだ終わりそうに無かった。
エピソード:紀柳の休日(仮題)後半部に合流。
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