『雨の降る日に』


 「ふう・・・こんなものでいいかしら。」
 夕飯の支度を終えたらしく、その女性は椅子に座って一休みしていた。テーブルの上にはきれいに盛り付けた料理が並んでいる。メインが中華料理なのは相変わらずであったが。
「お母さん、今日の夕飯はなあに?」
小さな女の子が尋ねる。年の頃は5歳ほどだが、ぴんとはねた前髪などは母親にそっくりである。
母親に比べると少々元気がよすぎる感もあるが・・・。
「今日は麻婆豆腐よ。」
母親が、優しく答える。ふつうなら「またか・・・」と思うところだが、娘の方も中華料理ばかりの毎日に慣れたのか、 文句ひとつ言わない。
「やったあ、あたし麻婆豆腐大好き!」
はしゃぐ娘を見て、母親は優しく微笑んだ。
 年は24・5程であろうか。その整った顔立ちは、昔と少しも変わらずにいる。どこかはかなげで、それでいて全てを包み込むような、そんな不思議な女性であった。
「あら、雨・・・?お父さん、今日は傘持ってないわよね・・・。」
窓の外で、雨粒がぽつりぽつりと落ち始めている。心配そうな表情で母親が言った。梅雨にも関わらず、
父親は傘を持っていくのを忘れたようだ。
「ねえお母さん、お父さん迎えにいこうよ。」
父親を迎えに行くのが好きな娘は、チャンスとばかりに母親を誘う。母親の方も、迎えに行く気でいた。父親には、傘を持っていないと走って帰ってきてすぐ風邪を引く悪い癖があるからである。この癖は10年前からちっとも変わっていない。
「そうね、それじゃ迎えに行きましょうか。」
「わーい、あたしこの前買った長靴はいてくー!」
降りしきる雨の中、母子で駅へと向かう。その雨を見ながら、ふとなにかを思い出したように母親がつぶやいた。
「そういえば・・・あの時も、こんな雨が降っていたわね・・・」

***

 晴れた日の午後、シャオは洗濯物を干していた。太助は相変わらずキリュウにしごかれており、 ルーアンはのんきに昼寝をしている。
七梨家の、いつもと変わらぬ日常であった。
 ところがシャオの心は普段とは違っていた。いや、もっと前からずっと感じていたことである。
どういう気持ちなのかはわからなかったが、明らかに今まで感じたことのないものであった。
焦りのような、なんともいいがたい気持ち。
 最近、こんな思いを感じることが多くなった。しかも日に日にその思いは強くなっていく。
それは多分、ついこの間太助の誕生日があったせいだろう。
 みんなでお祝いした時、気持ちの奥底でシャオは感じ取っていた。
太助は1年経って、成長している。
なのに、それなのに・・・自分は前と変わらない。
このままでは、どんどん置いていかれてしまう。
いつかは太助も大人になるけれど、自分はいつまでもこのままなのだ。
 今まで、何度となくそういう経験をしてきたが・・・こんな気持ちになるのは初めてだった。
そしてその気持ちがさらに深いところで、 もっと別の気持ちを生み出している事に、シャオは気づいていなかった。

 星神たちはこのシャオの心情の変化をいち早く感じ取っていた。
数千年間仕えてきたのである、当然と言ってよい。
彼らは彼らで、シャオの事を心配していた。
「なあ、あんただってもう気づいてるんだろ?」
支天輪の中で、虎賁が南極寿星に問い掛ける。
「月天様は、もう誰が何を言っても納得しないぜ。自分が人間じゃない・・・」
「いちいち言わんでもわかっておる!」
そう、南極寿星だってわかっていた。
シャオが、自分では気づいていないが、守護月天をやめたい・・・太助と同じ人間になりたいと思い始めていることを。
「わかってるなら話は早えや。で・・・どうするつもりなんだ?このままほっとくわけにはいかねえだろ?
ぼうずがよぼよぼになってからじゃ遅いんだぜ。何をするにしろ、早くしたほうがいいんじゃねえのか・・・?」
虎賁の思いは、星神全員の思いであった。
それは、南極寿星自身にも言える事である。
シャオに対する思いは、 ある意味他の誰より強かったかもしれない。
長い間お目付け役としてやってきたが、こんな事態は当然初めてだった。
(ついにこの時が来たか・・・)
意を決したように、南極寿星が虎賁に言う。
「一度、小僧と話し合う必要があるようじゃな・・・」
そう、彼は一つの決心をしたのだった。

 それから数日経ったある日。
日曜だったにも関わらずその日は朝からずっと雨で、みんな家に残っていた。
雨なので遊びにくる者もいない。
シャオが昼ごはんの後片付けをしていると、突然支天輪が光り出した。
「ふむ、どうやら全員眠ったようじゃな。」
支天輪から南極寿星が出てきた。
居間では、ルーアンやキリュウが眠っている。
いや、眠ったのではなく、眠らされていた。
あらかじめ、南極寿星が八穀に命じて湯呑みに眠り薬を入れさせていたのだ。
太助と、1対1で話をするためである。
 いきなり出てきた南極寿星に、シャオは驚いた。
「な…南極寿星・・・!」
「シャオリン様、すみませぬがいったん支天輪にお戻りください。」
そう言うと南極寿星は杖を振りかざし、有無を言わさずシャオを支天輪へと封印した。
その行動からは、並々ならぬ決意が感じられた。
以前出てきた時の雰囲気とは、少し違っている。
 シャオを支天輪に戻すと、南極寿星は太助を探した。自分の部屋にいた太助を見つけると、唐突に声をかけた。
「小僧、話がある。」
勉強していた太助は、突然呼びかけられて振り向いた。
「なんだ、じーさんか。・・・話だって?俺に?」
「さよう。シャオリン様のことでちょっとな。」
「シャオのことだって?」
「うむ。お主も気づいているだろう、シャオリン様の変化に・・・」
「・・・・・」
太助も、もちろん気づいていた。
そして、こうなればまた南極寿星が出てくるだろうことも、予測していた。
今がその時なのだ。
「シャオは・・・シャオは、守護月天をやめたいと思ってるんだろ?」
「そうじゃ。もはやわしが何を言っても納得するまい。いずれこの時が来るとは思っておったが、まさかこんなに早いとはな・・・」
南極寿星は一息置いて、太助に告げた。
「そこでじゃ、わしはひとつ決心をした。」
「決心・・・・?」
「シャオリン様を、守護月天の使命から解放する。」
「・・・え!?」
太助は驚いた。
そんなことを、まさか南極寿星の口から聞くとは思っていなかったのだ。 それに、
(そんなことが・・・本当に出来るのか?)
あまりに突然な南極寿星の言葉に太助は戸惑った。
「解放って・・・シャオを人間にするってことか?」
「さよう。」
「で、でも、いったいどうやって?」
「簡単な事じゃ。支天輪を壊せばよい。普通の力では壊れんが、わしのこの杖ならば楽に破壊できる。」
「・・・そんな・・・」
そんな簡単な事でいいのか!?驚きの連続で呆然としている太助に、南極寿星は説明を始めた。
「そもそも、守護月天とは支天輪に宿る精霊ではない。
どちらかといえば、そう・・・支天輪に『封印された』精霊とでも言った方がよいかの。」
「封印されたってことは、まさか・・・シャオは・・・」
「そうじゃ、もとは人間だったのじゃ。だから、人間の歴史以前には現れたことがない。
精霊とはいえ傷ついたり、命を落としたりするのもその名残じゃ。」
そうすると、ルーアンやキリュウももとは人間だったってことか・・・
太助が考えていると南極寿星は続けた。
「守護月天の定めは辛く、厳しい。わしも、いや、わしだけではない、星神は全員その定めを背負うシャオリン様に同情していた。
だからこそ、その悲しみを和らげようと、誠心誠意仕えてきたのじゃ。そして出来る事ならその定めから解き放って差し上げたい、
そう思っていた。」
「ちょっと待ってくれじーさん、だったらなんでその杖ですぐに解放してやらなかったんだ?」
太助の疑問は当然である。
「そんなに簡単にはいかなかったのじゃ。」
「だって、支天輪を壊すだけでいいんだろ?だったら・・・」
「小僧、よく考えてみろ。仮にすぐに解放してやったとして、その後はどうなる?
守護月天は、星神と主以外につながりを持たないのじゃ。守護月天の力を失えば星神も呼び出せなくなり、主だけが拠り所となる。
その主も、一生を共に過ごしてくれる保証はない。
途中で見放されようものなら、 完全に孤独な人生を歩まなければならないのじゃぞ。
もっと辛い人生を背負ってしまうことになるのじゃ。」
「あ・・・」
「だからこそわしは、解放する機会を待っていた。だが、あのような時代でそんな機会があるはずも無く・・・・、
ついにこの時代へとやってきたのじゃ。」
南極寿星はいったん言葉を切って、続けた。
「そしてシャオリン様がお主に好意を抱きつつあったとき・・・わしはそれを止めようとした。
生半可な気持ちでは、とても守護月天の定めを打ち破る事など出来ぬからな。下手に事が進んで、
中途半端な状態で解放せざるを得なくなったとあっては、最悪の事態を招きかねん。だが、お主を見て、わしは思ったのじゃ。」
「俺を見て・・・?」
「さよう。この時代、この主なら、守護月天の定めを打ち破れるやもしれぬ、とな。」
南極寿星は、まっすぐに太助を見つめた。
「お主を見こんで、頼みがある。」
「頼み?」
「シャオリン様と共に生き、孤独から守っていって欲しい。」
「・・・え・・」
「お主なら出来るはずじゃ。万難地天の試練を進んで受けるその心、そして何よりお主自身がシャオリン様に好意を抱いている。
わしは、この時代に賭けてみたいのじゃ。いや、賭けなければならぬのじゃ。完全に恋愛感情を持ってしまった今、
もうシャオリン様は守護月天であり続けることはできん。解き放たれるか、あるいは、記憶を消して白紙の状態に戻るか、
2つに1つ。全てはお主にかかっているのじゃ。」
南極寿星は真剣そのものであった。
太助にも、その理由がわかる。
シャオの運命は、太助にかかっているのだ。
いきなりそんな重大な決断を迫られ、太助は少し考えたが・・・・すぐに顔を上げ、はっきりとした口調でこう言った。
答えはひとつである。
「わかったよ、じーさん。」
今までキリュウの試練を受けたりして頑張ってきたのは、全てこのためではなかったか。
ここで断ってしまえば、何もかもが水の泡になってしまう。
太助の顔には強い決意が感じられた。いつか、シャオが支天輪に帰るのをひきとめた・・・、あの時と同じように。
「シャオは、必ず俺が守ってみせる。」
太助は、南極寿星の本当の心を知った気がした。
お目付け役として堅い事ばかり言っているが、 守護月天の存在に彼もまた疑問を抱いていたのだ。
しかし、シャオの身を案じるが故に、 シャオを守護月天という鎖から解き放つ事が出来なかった。
そして今、最大にして最後のチャンスを迎えているのである。
「まだまだ力が足りないこともあるかもしれないけど・・・じーさんのためにも、頑張るよ。」
「小僧・・・。」
南極寿星は、太助の言葉を聞いて安心したようであった。
こやつになら、シャオリン様の運命を託せる・・・。
それは、数千年間の間彼が待ち望んでいた瞬間。
いや、彼だけではない、星神たち全員の願いが、今叶おうとしていた。
この平和な時代で、太助に出会えたこと、それはまさに奇跡的な偶然だった。
どちらかが欠けていても、 またいつもの繰り返しに過ぎなかっただろう。
 
 支天輪の中で一部始終を聞いていたシャオもまた、自らの運命が大きく変わろうとしているのを感じていた。
数千年間守護月天として生きてきたシャオにとって、守護月天をやめるというのは信じられない出来事だった。
辛い定めから解放される喜びの反面、いいようのない不安も心の中で大きく広がってゆく。
 守護月天でない自分など、本当に必要とされるのだろうか・・・
さすがに、数千年務めてきた役目を終えることに、不安を隠せない。
(でも・・・)

「それでは、始めよう。」
南極寿星が支天輪からシャオを呼び出した。本人の気持ちを確かめない事には始まらない。
支天輪から出てきたシャオと、南極寿星は向かい合った。
「シャオリン様、事の次第は理解しておいでですな?」
南極寿星の問いに、シャオはこくりとうなずいた。しかし、表情からははっきりと不安の色が見て取れる。
「シャオ・・・、本当にいいのか?」
太助の言葉に、シャオの心は揺れ動いた。たしかに守護月天という鎖から解放されたい、しかし…本当にそんなことをしてしまってよいのだろうか。この決断は本当に正しいのか?
 考えれば考えるほどわからなくなって、シャオは黙り込んでしまった。
南極寿星も、本人の心が決まらないのではどうにも手のだしようがない。しばしの沈黙があたりを包む。
それを打ち消すように、太助が言った。
「俺は、シャオと一緒にいたいと思ってる。シャオがそうしたいのなら…」
「私だって、太助様と一緒にいたいです」
太助の言葉を途中でさえぎると、さらに続けた。
「できることなら、守護月天の使命から離れてずっと太助様のそばにいたい。
でも、本当にそうしていいのかどうかわからなくて・・・、うまくやっていけるかどうか不安で・・・」
太助と南極寿星は困ってしまった。当の本人の気持ちがこんなに不安定では・・・。
一度決断したら、もうやり直しはきかないのである。
どうしたものか、と思案していると。
「・・・・?」
突然、支天輪が光り始めた。
まるでシャオが初めて支天輪から出てきた時のように。
「じーさん、あれ、どうしたんだ?」
「ふむ・・・星神たちが出たがっているようじゃな。」
すでに支天輪は、カタカタと音を立ててゆれ始めている。
よっぽど出たがっているらしい。
「なあじーさん、出してやったらどうだ?なにか理由があるのかもしれないだろ?」
「そうじゃな・・・」
南極寿星が支天輪から星神を出そうとしたが、
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんじゃ?小僧」
「家の中はやめてくれよ・・・家が壊れちまうだろ?やるなら外でやって欲しいんだけど」
軍南門などをまともに呼び出したら、家が全壊するのは必至である。
星神の中には、 太助の知らないもっと巨大なものがいるかもしれない。
仕方なく、南極寿星はガラス戸を開けて庭に出た。
雨は小降りになっている。
「今出してやるからじっとしておれ」
南極寿星がその杖をかざすと、支天輪から全ての星神が一斉に出てきた。
大体はすでに会ったことがあったが、中には太助の全く知らないのもいる。
(こんなにたくさんの星神がいたのか・・)
「みんな・・・」
出てきた星神たちを見て、シャオはおもわず涙を流した。
こんなにたくさんの仲間を残して、自分だけ守護月天をやめてしまってもいいのだろうか・・・。
すると、星神の中から虎賁が出てきた。
小さいので、軒轅の頭に乗っかっている。
「何を迷ってるんですか、月天様。」
星神全員の思いを代弁するように、シャオに向かって語りかけた。
「ぼうずがあそこまで決心してるのに、裏切っちゃ申し訳ないですぜ。月天様だってホントはそうしたいんじゃないんですか?」
「でも、みんなを残しては・・・」
「ここで退いたら、全部水の泡になっちまいますぜ。数千年もかけてやっと巡りあえた相手なんだから、大丈夫・・・
もっとぼうずのことを信用してやらなくちゃ。」
その言葉に、シャオははっとした。
「おいらたちに気を使う必要はないですよ。月天様が幸せになってくれるのなら、それで・・・」
後ろを振り返り、
「なあ、みんな。」
星神たちは、にっこりと微笑んでうなずいた。
その優しさに、シャオはぽろぽろと涙をこぼした。
シャオの肩に、そっと手が置かれる。
「シャオ、よかったな・・・」
「太助様・・・私・・・、私・・・!」
涙が後から後からあふれ出る。
別れる事が悲しいのではない、星神たちが自分のことを思って優しくしてくれたこと・・・、
そしてなにより、普通の少女として太助と過ごせることが嬉しかった。
「何泣いてんですかい、月天様。せっかく守護月天の使命から解放されるってのに、そんなに泣いてばっかじゃつまらないですぜ。」
「うん・・・。・・・本当にありがとう、みんな・・・」
やっとシャオに笑顔が戻ってきた。太助や星神たちも、それを見てほっとしたようである。
「それではよろしいかな、シャオリン様。」
南極寿星の言葉に、にっこりと笑って答える。
「ええ・・・。」

いよいよ別れの時がやってきた。
星神たちが次々と支天輪に帰っていく。
一度決心したとはいえ、やはり寂しかった。
「離珠、またな。軒轅も、瓠瓜も・・・」
今まで一緒に過ごしてきた「家族」に、最後の別れを告げる。
シャオも、太助と同じように星神一人一人に別れを言っていた。
「今まで頑張ってくれて、ありがとう・・・ずっと忘れないわね。」
「もうあんまりびーびー泣くんじゃないぞ、離珠」
今までの思い出が頭の中を駆け巡る。
シャオにとっても、太助にとっても大切な「家族」だった。
最後に虎賁が支天輪に入ろうとした、その時。
「ほんとに・・・ほんとに、今までありがとうって、みんなに伝えといてくれないか」
それを聞いて、虎賁は2人に言った。
「2人とも、そんなに悲しがるなって。おいらたちは、星神・・・星座だろ?空の星はみんな、おいらたち一人一人なんだぜ。」
照れ隠しか、ぽりぽりと頭をかきながら、
「だからよ・・・、そんなに寂しがるなって。会えなくはなるけど、この世から消えて無くなるわけじゃねーんだからさ。
空から、ずっと見守ってるよ。」
そう言った虎賁の目にも、光るものがあった。
彼は彼なりに、別れを惜しんでいるのだ。
「虎賁・・・」
「じゃーな、ぼうず、月天様を頼んだぜ。」
支天輪に入りかけたが、
「・・・そうそう、もっとテニスは練習しといた方がいいぜ。もうおいらは手伝えねーからな。」
「おいおい・・・今、それはないだろぉ」
へへっと笑うと虎賁は支天輪の中へと消えていった。
星神が全員中へ入っていったのを確認すると、南極寿星は杖をかざしながら自分も支天輪に入っていった。
「では小僧・・・、シャオリン様をくれぐれもよろしく頼むぞ。」
「安心しろってじーさん、男に二言はないよ。」
太助の意志を確認すると、太助に寄り添って立つシャオに向かい、最後にこう言った。
「長い間お仕えしてきましたが・・・、とうとう最後ですな。」
「南極寿星・・・」
「シャオリン様が幸せになってくだされば、なによりじゃ。わしのこの数千年間の苦労も報われます。」
「大丈夫・・・、太助様となら、きっとうまくやっていけるから・・・」
シャオの言葉を聞くと、二人に向かい、
「では・・・さらばですじゃ。」
支天輪の中へと消えていった。
 しばしの沈黙の後・・・不意に、支天輪が宙に浮かんだ。
そして、まぶしく光り輝いたかと思うと、「パリン!」と音を立てて二つに割れた。
 割れた支天輪を、シャオはそっと拾って手の中に包み込む。・・・今までの守護月天としての思い出をかみしめるように・・・。
「シャオ、・・・本当によかったのか?」
不安になって、おもわず太助が問い掛けた。
「いいんです・・・これで。」
思いを立ちきるようにシャオはきっぱりと言った。
「だって、太助様のおそばにずっといられて・・・・、同じ時を過ごせるんですから」

と、すぐそばで聞きなれた声がした。
「あーあ、とうとうやっちゃったのねえ。」
ルーアンである。
「ル・・・ルーアン!起きてたのか!?」
「あたしだけじゃないわよ、ほら。」
ルーアンの後ろに紀柳が立っていた。
「あいにく、私たちにはこんなものは効かないからな・・・」
テーブルの上の湯呑みを指差して、紀柳は言った。
「南極寿星のやつ・・・失敗したな・・・」
おとなしくしてたからよかったようなものの、あそこで出てこられてはえらい騒ぎになっていたに違いない。
「あそこで出ていってもよかったんだけどねー、この子が行くなってうるさいから。」
「ルーアン殿、私はそんなこと一言も言ってないぞ。」
「あんたの目がそう言ってたのよ、目が!」
相変わらずのやり取りであったが、(なんだかんだ言って根はいいやつなんだな・・・)と太助は思った。
あの時出てこなかったのは、ルーアン自身がそうしたのであろう。
シャオが人間になるのを引き止めなかったのは、その方がシャオのためになると思ったから・・・
「全く、あんたのおかげでライバルが一人減っちゃったじゃないの!」
シャオにむかってぎゃーぎゃーとわめいた。
「この子と2人で残っちゃうなんて、やってられないわよ。」
「ずいぶんな言い方だな、ルーアン殿。」
「うるさいわねー、ああもう、いいわ!あたしは一足先に黒天筒に帰るわよ!」
言うと、黒天筒を振りかざした。
「え・・・、帰っちゃうのか?」
「だって、あたしの役目はもう無いじゃないの。今のたー様にこれ以上の幸せを授けるのは、あたしには無理よ。」
「私も帰らせてもらおう。」
紀柳が言った。
「もう主殿に与える試練はない・・・たった今、最大の試練を乗り越えたばかりだからな。」
「ルーアンさん・・・キリュウさん・・・」
今にも帰っていきそうな2人を、太助は引き止めた。
「ちょ、ちょっと待てよ、お前ら!」
「?なんだ?主殿。」
けげんそうにキリュウが振り返る。
「役目がないからって、そんなにすぐ帰らなくても・・・、別に今のままいたっていいじゃないか。」
「そうですよ、お2人が帰ってしまったら寂しくなりますわ。」
いくらなんでもあまりに突然である。大体、なんでそんなにあっさりと帰ってしまうのか、太助にはよくわからない。
「・・・・」
キリュウとルーアンは困ったような顔をした。
「気持ちはありがたいが、主殿」
キリュウがふふっと笑いながら言った。
「二人の邪魔をするほど私たちも野暮ではないぞ。」
「そーよ、せっかく人間になったんだから2人で仲良くやんなさいよ。」
二人の優しい言葉に、シャオは申し訳ないという思いになった。
「ごめんなさい・・・私だけ・・・」
「あんた、まだうじうじ言ってんの?さっきあの星神に励まされたばっかじゃない。」
「私は別に怒ってなどいないぞ、シャオ殿。」
少し間を置いて、キリュウは続けた。
「むしろ主殿やシャオ殿には感謝している。自分のような精霊でも、本当に必要とされる時があることを教えてくれた。
・・・どれだけかかるかわからないが、私もそれを見つけようと思う。」
「あたしも、いつかあんたみたいに自分の運命を変えてくれる人を見つけてみせるわよ。」
そう言うと、2人はそれぞれが宿る「もの」をかざした。
「そういうわけだから、今回は帰らせてもらう。・・・いつまでもここにいてもチャンスはやってこないからな。」
「そうそう、早く新しい主様見つけて運命の出会いをしないとね!」
「キリュウ・・・ルーアン・・・」
「そんな悲しそうな顔しないでよ、たー様。たー様にはシャオリンがいるじゃないの。」
そして、最後に一つ付け加えた。
「それとね・・・あたしたちが帰ったら、黒天筒と短天扇は日本のどこかに送ってちょうだい。
2人とも、この国が気に入っちゃったのよ。食べ物もおいしいし。」
食欲だけは、いつもと変わらないようだ。太助はあきらめたような顔をすると、
「わかった、2人がそこまで決心してるんだったら強くは引き止めないよ。・・・いつか幸せを見つけられるといいな。
俺は見つけてやれなかったけど・・・」
「たー様はシャオリンのことだけを考えてればいいのよ。あたしたちのことは気にしないでちょうだい。」
「ルーアン殿の言うとおりだぞ。・・・くれぐれも浮気などせぬようにな。」
「う、浮気って、ちょっと・・・キリュウ!」
ふふっと笑うと、キリュウは短天扇を一振りした。まばゆい光がキリュウの体を包む。
「それではさらばだ、主殿、シャオ殿。」
「さようなら・・・キリュウさん。また、どこかでお会いできるといいですね。」
シャオリンに向かって微笑むと、キリュウは短天扇の中へと消えていった。
乾いた音がして、短天扇が床に転がった。
「それじゃ、あたしもそろそろ行こうかしらね。」
キリュウと同じように黒天筒をかざして一振りする。
「ルーアンさんも、お元気で・・・。」
「ルーアンから元気とったらなにも残らないからな。」
「最後の最後で言ってくれるわね、たー様・・・」
やがてルーアンの姿も黒天筒の中に吸い込まれていった。あとに残されたのは二つの筒と扇・・・。
太助はその2つを手に取った。初めて出会った時の記憶がよみがえる・・・
『はあーい、お呼びになりましたあ?』
『私は主殿あなたに・・・試練を与えるために参った』
(やっぱり、いなくなると寂しくなるな・・・)
いる時は騒がしくても、こうしてみると妙に今までの事が懐かしく思えてくる。
不思議なもんだな、と太助は思った。
「さて・・・と、そんじゃあ望み通りどこかに送ってやるとするか・・・。」
ふとシャオを見ると、割れた支天輪を見つめたまま立ち尽くしている。
「・・・シャオ?」
太助が声をかけると、シャオは顔をあげた。
「やっぱり・・・寂しい?」
「寂しいです、寂しいですけど・・・。でも、太助様がいるから・・・平気です。」
そういうとシャオは花のような笑顔を向けた。
やっと長い間望んでいたものが手に入ったような気がした。
今まではそれが何なのかおぼろげにしかわからなかったけど・・・今ははっきりと見える。
今、自分の目の前にいるその人が、長い間探し続けて見つけた答えなのだ。
 今までの守護月天としての思い出、そして今感じている幸せ・・・その全てをかみしめるように、シャオは支天輪を抱きしめた。
 太助も、シャオの気持ちがわかったのか・・・少し顔を赤らめながら言った。
「なあ、シャオ。」
「・・・はい?」
「俺・・・約束するよ。今までは俺が守ってもらってたけど、これからは俺がシャオを守ってみせる。
・・・絶対に寂しがらせたりしないからさ。」
前に、南極寿星と交わした約束・・・
『そのかわり見つけてみせる。シャオがこれ以上悲しまなくてすむ方法を・・・。』
今日、約束通り太助はその「方法」を見つけた。
しかしこれからはそれを守りつづけていかなければならないのだ。
太助の言葉は、自分自身に言い聞かせたものでもあるだろう。
 そんな太助の思いを察してか、シャオはめいっぱいの笑顔で答えた。
「・・・はい!」
降り続いていた雨もいつのまにかすっかり止み、広がる青空に生まれて初めて見るようなきれいな虹がかかっている。
 今日から新しい人生が始まる・・・、その想いをシャオは全身で感じていた。
今日の日のことは、生涯忘れられないものになるだろう。
 そよぐ風が雨上がりの庭に緑の匂いを運び、もうまもなく夏がやってくる事を知らせていた。

***

 ホームから乗客がぞろぞろと降りてくる。それほど大きくない駅は、会社帰りの人や、それを迎えにきた人であふれかえっていた。
 その中に父親の姿を見つけ、娘は手を振った。
「おとーさーん!」
父親はあれっという顔をした。小走りで近寄ってくる。
「2人そろって・・・迎えに来てくれたのか?」
「雨が降ってたから、傘忘れただろうと思って。」
そう言うと、
「・・・雨だったら、もうやんでるけど。」
たしかに、さっきまでどんよりとしていた空はいつのまにか青く晴れ渡っている。
どうやら待っている内に雨がやんでしまったらしい。
「あれぇ?さっきまであんなに降ってたのに・・・」
娘が空を見上げて不思議そうな声を出す。せっかく迎えにきたのに、と少し残念がった。
それを見て父親は、にっこり笑って娘を抱き上げ、
「雨の中わざわざ迎えに来てくれて、ありがとな。」
ありがとうと言われて、娘はすっかりご機嫌になったようである。急ににこにこしてはしゃぎ出した。
「おいおい、あんまり暴れるなって。・・・それにしても重たくなったなあ。太ったんじゃないか?」
娘はむっとした。
「太ってなんかないもん。」
「はは、冗談冗談。」
そんな二人のやりとりを見て、おもわず母親はくすっと笑い、そして思った。
何気ない会話がこれほど楽しく感じるなんて、と。

あれから10年・・・
太助もシャオもすっかり大人になった。
平凡だけれど、幸せな日常。
かつて守護月天としていろいろな主に仕えていた時は、 まさかこんな時が来るなんて思いもしなかった。
ましてや、自分が子供を持つなんて、夢にも考えなかったことである。
 もちろん、寂しい時がなかったわけではない。
時には星神たちのことを想い、夜空の星を眺めた事もあった。
不安に押しつぶされそうになった時もある。
 かつて守護月天として過ごしていた時は、自分の生きる意味が見つからなかった。
必死に守りぬいた主も、やがて寿命で死んでいく。
みなシャオに感謝し満足そうに死んでいったが、 残されたシャオはその度にいつも悩んだ。
自分が今までしてきたことは本当に意味があったのか・・・
みんなこうしていつも死んでいってしまうではないか。
そして、その問いに答えてくれるものは誰一人としていなかった。
 でも・・・とシャオは思う。
今、自分がこうしている事で、一つの家庭が幸せにあふれている。
楽しそうに暮らす夫や娘を見ると、自分のいる意味をはっきりと感じる事ができるのだ。
 そしてその生きる意味を見つけられたのも、七梨太助・・・その人のおかげである。
どんな時でも太助がいつもそばで支えていてくれたから・・・。改めて、自分の運命を変えてくれた出会いに感謝したくなる。
全ては一つの出会いから。
『初めまして、ご主人様・・・』

「それじゃ、そろそろ帰ろっか。」
太助は抱えていた娘をおろした。
「うん!」
はしゃぎながら、娘はたったっと駆け出していく。
太助はやれやれといった表情をしながら、シャオの方を振りかえった。
「・・・?どうかした?」
ボーっとしているシャオを見て、太助が言った。
「いえ、・・・ちょっと昔のこと思い出しちゃって。」
「昔のこと?」
「ええ」
そう答えたシャオの表情は、とても穏やかだった。
 あのとき選んだ道は、決して間違っていなかった・・・今ならそう言える。
「ねえねえ、はやくぅー」
娘の声がした。二人がなかなか来ないのでしびれをきらしたようだ。
「ごめんごめん、今行くって」
二人は慌ててあとを追った。
水溜りだらけの道を、親子3人で歩いていく。
雨上がりの空には、あの日と同じ大きな虹がかかっていた。

〜終〜


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注意:この小説はシャオりんぐのほかに軒轅ファンクラブ(作者:ばるかさん)にも同じ物が掲載されています。